シリア懲罰攻撃に見えるトランプ政権の危うさ

2019年5月3日 国枝昌樹

ニュースが氾濫する現代、シリア北西部のイドリブ県内で4月4日化学兵器サリンあるいは類似物資による攻撃があり、80以上の人命が失われた事件は、すでに旧聞に属する出来事になってしまった。でも、事件からひと月経った今、も一度振り返ってみたい。

犠牲者にはいたいけな子供たちも多かった。トランプ大統領はアサド政権軍による空爆だと断じ、越えてはならないレッドラインをいくつも越えたと声明を出して、4月7日未明(シリア時間)に59発のクルーズ・ミサイルでシリア空軍基地を爆撃した。 

2013年8月に起きたダマスカス郊外でのサリン化学兵器事件ではシリア政府は自己の関与を強く否定したが、国際社会での疑惑と批判の高まりを受けて化学兵器禁止条約を受け容れ、化学兵器禁止機関に加入した。それだけに、サリン化学兵器問題はシリア政府にとって極めて機微な問題であって、その使用は政治戦略的に百害あっても一利なく、政権の存続すら危険に陥れうる。軍事状況はアサド政権に有利だ。だから、同政権が今敢えて使用しなければならない理由はまったくないと多くの関係者が指摘する中での今回の米国単独の軍事行為だった。
トランプ政権の軍事行動正当付け説明 

4月11日、米大統領府では匿名の上級担当者によるプレス・ブリーフィングを行い、この中で4日の攻撃事件を詳細に説明して軍事行動の正当性を強調し、同時に資料『4月4日のアサド政権による化学兵器の使用』を公表した。

この資料は最初のパラグラフの1行目から「(各種の得られた情報からすると)シリア政権がサリン神経ガスの化学兵器で攻撃を行ったことに米国政府は確信を持つ」と断じ、第2パラグラフでも「この評価についてわれわれは大きな確信を持つ」と述べて、シリア政権軍による毒ガス攻撃であったことを重ねて強調している。
さらに付け加えて「軍高級幹部が多分攻撃計画に関与しただろう」「過去に化学兵器関係者だった人物たちが3月末の準備段階と攻撃当日に発進基地にいたことを示す情報をわれわれは持っている」と書いている。
大統領府でのブリーフィングは同資料に基づいて口頭で説明しており、内容は基本的に同じである。  
ブリーフィングを行った上級担当者はさらに現場の反体制派武装グループが「イスラム国」であれ他のグループであれサリンを持っていなかったと明言し、シリア政権こそが2013年8月の事件でサリンを使用し、今も保有していると断定している。  
空爆について、資料はシリア軍のスホーイ22型機が現場周辺で20分間ほど飛行し続け、空爆後に飛び去って、その後化学兵器使用が報告され始めたとし、さらに、SNSで指摘されている道路上の穴は明らかに通常爆弾による痕跡とは違い、化学兵器爆弾によるものと信じると記している。 
トランプ政権の説明については指摘すべきことが他にもあるが、これだけにとどめておこう。

オバマ「弱腰」政権に対するトランプ「やるときにはやる」政権  

この資料は2013年8月に首都ダマスカス郊外で発生したサリン事件の際にオバマ政権が発表した大統領府声明を強く意識し、大変よく似た書き方になっている。
それだけアサド政権に対する懲罰的軍事行動の可能性に言及しながら断念したオバマ政権の「弱腰」振りを意識し、違いを示そうと意図したものだった。

そこで、同じような2つの資料の違いについて注目しよう。
 
オバマ政権の声明では最初のパラグラフで「(シリア政権がやったと)大きな確信を持って評価する」とした。
その表現には微妙なニュアンスがある。つまり、幾多の情報からすればシリア政権がやったと強く考えられるが、断定するとまでは言えないという含みを持たせた文章である。
実際に、第4パラグラフで情報当局はまだ確証を握っていないことを正直に認め、今後とも確証を求めて「さらに情報の収集を行う」とした。  
当時この声明は日本国内で大々的に報道された。だが、マスコミはこの部分の重要性を見落としてどこも指摘しなかった。

この事実は、今日のマスコミ界が陥りやすい「フレーミング効果」の一例を示している。
つまり、米国での報道がオバマ政権はアサド政権がやったと認めたという方向性で行われると、日本のマスコミではその論調の枠内でしか考えず、長文でもない大統領府声明を正確に読めば明らかなのだが、声明を読まないで記事を書いたのか、たとえ目を通したにしろ表現振りが簡潔で、巧みな表現振りだったためにニュアンスを正確に理解せず読み飛ばしてしまったのかもしれない。
でも、そこにこそ声明のひとつの核心があった。

 トランプ政権の資料では最初から「確信」を強調するばかりである。
単純明快だ。
ついでに、確証を入手していれば、きっと明言したであろう。
だが、確証を得ているとはどこにも書いていない。
ブリーフした上級担当者はこう説明した。
「あなたたちにはぜひ理解してもらい。これは非常に重要なことだ。つまり、(アサド政権がやったという)この結論を支持する情報がたくさんあるのだ」。
付け加えて、攻撃があった4日以来情報を収集し続けているが、皆、我々の理解を補強し、一致しているとも言う。
しかし、彼は確たる証拠を得たとは一度も言っていない。
ありていに言えば、確証は得ていないが確信すると言っている。
わたしたちはそう考えている、だからあなたたちも信じなさいと。
こういうのを印象操作という。  
その際に、この上級担当者は「(情報を公表するために)秘密レベルを下げ、あるいは秘密指定を解除した情報には広範囲の公開資料やSNSが含まれる」と語るのだが、公開情報を秘密指定から解除するというのは本来ありえない、何とも奇妙な説明である。

この夜郎自大的で無茶な説明に対して、ブリーフィングに出席した大統領府詰めの記者が誰ひとりとして疑問を挟まなかったのはまことに情けない。  
「軍高級幹部が多分攻撃計画に関与しただろう」という表現は、情報判断では絶対に避けなければならないものである。情報がないから「多分(probably)」と表現したのだろうが、この言葉は「可能性がある(possible)」より強い。
厳密性に欠ける用語 

トランプ大統領の発言やツイートを見ていると使用する単語や表現が非常に平易であって、しかも原稿なして喋る場合には小中学生を相手に喋っているような表現振りで、私的空間と公的空間の区別がなされていない。
ツイートでは綴り間違いをしてもお構いなし。
しかも、言葉の意味を厳格に理解しないで使っている。

超大国米国の大統領の言葉には他国の指導者の発言とは比較もできない重さと責任、そして影響力があるのだが、まったく意識できていない。
演説の中でpossibleとprobableを同じような単語として使用していることがあった。
前者は可能性、後者は蓋然性というはっきりした違いがあるのにである。
軍の高級幹部が関与した蓋然性があるというためにはそれなりの情報が必要だが、前後の文脈からすればそれはなく、もっぱら読み手の頭に印象を植え付けようとする表現にとどまっている。  

トランプ政権が指摘するシリア政権の航空機から落とされた化学兵器爆弾の穴というのはネット上でその写真を見ることができる。
それは薄いアスファルトを壊してできた深さ10〜15センチほど、直径はせいぜい数十センチの穴である。
確かに、通常爆弾の破裂による破壊の痕跡とは違う。だが、どうして化学兵器による穴だと断定できるのだろうか。

時速数百キロで飛行する航空機が1000メートル前後の上空から落下させた化学物資を内蔵する金属製の爆弾が大きな運動エネルギーで地上に激突して作ったとされる穴は、実はせいぜい数十メートルの高さから投げ落とされたボーリングのボールが作る程度の穴にしか見えない。
化学兵器搭載の砲弾には着地する寸前に破裂させて空中に散布するのがあり、その場合には地上激突速度は減殺されるが、シリアでこの種の砲弾が使用されたとの情報はない。

すると、その穴はどのようにしてできたのだろうか。
2013年8月のダマスカス郊外サリン事件の犯人、いまだ不明のまま  

ブリーフィングを行った上級担当者はこのように言う。
「われわれはシリア政権がサリンを保有していることを実は知っている、そして2013年の事件でシリア政権がサリンを使用したことも知っている」 

この上級担当者はオバマ政権の声明のみならず、『ジ・アトランチック誌』2016年4月号のオバマ大統領インタビュー記事も読んでいないようだ。
オバマ大統領はクラッパー米国家情報長官が大統領に緊急に面会を要求して来て、シリア政府がサリン事件の張本人であるらしいとする情報はいろいろあっても「確証はない」と報告して来たために軍事行動を断念したと語っている。 
オバマ政権時代には解明されなかったこの事件が、トランプ政権発足後早々と解明されたとでもいうのだろうか。
だが、そんな話はどこからも伝わってきていない。
シリア政府が行ったとは現在までいかなる公的機関からも断定されていない。  

この上級担当者もトランプ政権の幹部としてフォックス・ニュースを情報源とする「オルターナティブ・ファクツ(alternative facts)」の信奉者のようだ。
そういえば、2013年9月18日に放映されたフォックス・ニュースのアサド大統領インタビューでは、質問者は執拗に誘導質問を繰り返し、ウソさえ事実と強弁して質問をしていたことを思い出す。

わたしはアサド大統領のインタビューをこれまですべて読んできているが、フォックス・ニュースのインタビューほど事実を捻じ曲げ、無視して質問を展開していたインタビューは他にないのでよく覚えている。
大統領はそんな質問者に対しても丁寧に応答して怪しげな議論を退けていた(なお、日本でも多くのいわゆる『識者』たちが2013年8月のサリン事件をシリア政権が行ったと断定して話を進めているのは、事実を軽視するトランプ政権関係者たちと同じレベルである)。
4月4日事件の地区に「イスラム国(IS)」がいた? 

トランプ政権が発表した資料には、4月4日のサリン化学兵器事件にISが関係したとする情報はないとも書いている。
あたかもISがその地区にいたが、事件には関係しなかったと言わんばかりである。
だが、ISはその地域にいなかった。
だからISがこの事件には無関係なのは当然である。

でも、いないことがはっきりしており、書く必要がなかったISについて、なぜわざわざ言及したのだろうか。  
同地域では、米国を含む国際社会がテロリスト・グループとして制裁を科すアルカイダ系旧ヌスラ戦線グループが占拠しており、しかも旧ヌスラ戦線に対しては、米国は従来からISに向ける対決姿勢ほどの強い姿勢を示していない。
米国は旧ヌスラ戦線に関して十分な情報を得られず、このグループの動向を十分に捕捉できていないからだろう。
だから、資料は旧ヌスラ戦線にはまったく語らない代わりに無関係なISに言及したのだろう。
そんな不十分な状況の中で、この地区の反体制派武装グループがサリン化学兵器を保有していなかったと断定するのはいかにも根拠に乏しい。  
この村からトルコ国境まで近く、その地帯は反体制派武装グループが支配している。
人と物資は自由にトルコとの間を行き来している。
危険物が外部から持ち込まれた可能性は否定できない。
周辺でスホーイ22型機が20分も飛行し続けていたのならば、シリア軍機の存在を奇貨として自作自演のサリン事件を起こすことも不可能ではないだろう。  

以上の疑問を抱きながらインターネットをサーフすると、今回もマサチューセッツ工科大学のセオドーア・ポストル名誉教授の論考があった。

今回もというのは2013年のサリン事件で彼は国連調査団報告書を詳細にわたって検討してシリア政権が事件の首謀者だとする見方に疑問を呈しているのだ。
今回、彼はわたしと同じような疑問を持って、自身の専門分野から特に化学兵器爆弾が作ったといわれる穴を詳細に検討して、これは空中からの投下ではなく、地上で誰かが爆発させてできた穴であると結論付け、トランプ政権の判断の信頼性に大きな疑問を投げかけている。
Alternative factsで突っ走ったトランプ政権  

オバマ政権は、状況証拠はあっても事実に基づく確証が得られなければそれは「グレー・ゾーン」にとどまり、そんな状況では軍事行使には踏み切れないとした。
大統領の絶大な権力の行使は「事実」に基づかなければならないという認識である。

その認識は信念といってもよい。
大統領として国民から託された絶大な権力の行使に当たっては謙虚で自制的でなければならないとする信念だ。
巷間で言われた弱腰だったから軍事行動を取りやめたという批判は矮小で見当違いである。

他方、今回示されたトランプ政権の姿勢は、状況証拠がクロに近ければ確証を求めるまでもなく軍事攻撃を決断できるとした行動だった。
事実の確認を軽んじて過早に行われたそんな軍事行動だったのだが、米国民の57%が支持し(CBS世論調査)、主要7カ国外相会議(G7)も支持を確認した。  

去年の大統領選挙運動中には「大統領なんて簡単に務められるさ」と言っていたトランプ大統領であるが、4月7日の軍事行動を決断し、また、幾多のハードルをも経験してみて、就任100日目を前に複雑で深刻な現実を理解し始めたようだ。

4月末、ロイター通信のインタビューの中で「大統領職がこんなに難しいとは考えてもみなかった」と述懐し、Alternative facts ばかりでは大統領職を務められないことに気づいた。
国際社会では多くの指導者たちがトランプ大統領の言動にハラハラしてきている。
これからは責任ある言動が期待できる大統領に成長してほしいと願っている向きには、少しは安堵の胸をなでおろしと思えた記事だっただろう。(おわり)


国枝昌樹 元シリア駐在大使 (投稿者)
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・2006年から2010年シリア特命全権大使。
 著書: シリア アサド政権の40年史(平凡社新書)、報道されない中東の真実、イスラム国の正体、シリアの真実、「イスラム国」最終戦争(以上朝日出版)など多数。

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