COLUMN

シリアの平和を祈って(お手紙紹介)

IMG_0697.JPG 京都在住のFさんからお手紙を頂きました。シリアに縁を持たないFさんですが、紛争の報道に大変心を痛め、シリアの人々に早く平和が訪れ穏やかな日々がもどりますようにと祈りを込めたお手紙です。


Fさんからのお手紙は二度目です。
今回は
「シリアの人が見れば喜びそうなカードを同封します。少しでも勇気づけたいという願いからです。機会があればシリアへ送って下さい」
とあり、美しい鯉のぼりのカードと端午の節句のカードが同封されていました。
そして
「シリアと日本は同緯度です。同じ星空のもと、個々の家族がみな幸福に暮し明るい未来に繋げて行けますよう心より願っております」
と締めくくられておりました。

 Fさんの気持ちを、シリアの人たちのみならず、日本のみなさまにもご紹介したいと思い、ホームページに掲載させていただきました。(2017年5月)

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シリア懲罰攻撃に見えるトランプ政権の危うさ

2019年5月3日 国枝昌樹

ニュースが氾濫する現代、シリア北西部のイドリブ県内で4月4日化学兵器サリンあるいは類似物資による攻撃があり、80以上の人命が失われた事件は、すでに旧聞に属する出来事になってしまった。でも、事件からひと月経った今、も一度振り返ってみたい。

犠牲者にはいたいけな子供たちも多かった。トランプ大統領はアサド政権軍による空爆だと断じ、越えてはならないレッドラインをいくつも越えたと声明を出して、4月7日未明(シリア時間)に59発のクルーズ・ミサイルでシリア空軍基地を爆撃した。 

2013年8月に起きたダマスカス郊外でのサリン化学兵器事件ではシリア政府は自己の関与を強く否定したが、国際社会での疑惑と批判の高まりを受けて化学兵器禁止条約を受け容れ、化学兵器禁止機関に加入した。それだけに、サリン化学兵器問題はシリア政府にとって極めて機微な問題であって、その使用は政治戦略的に百害あっても一利なく、政権の存続すら危険に陥れうる。軍事状況はアサド政権に有利だ。だから、同政権が今敢えて使用しなければならない理由はまったくないと多くの関係者が指摘する中での今回の米国単独の軍事行為だった。
トランプ政権の軍事行動正当付け説明 

4月11日、米大統領府では匿名の上級担当者によるプレス・ブリーフィングを行い、この中で4日の攻撃事件を詳細に説明して軍事行動の正当性を強調し、同時に資料『4月4日のアサド政権による化学兵器の使用』を公表した。

この資料は最初のパラグラフの1行目から「(各種の得られた情報からすると)シリア政権がサリン神経ガスの化学兵器で攻撃を行ったことに米国政府は確信を持つ」と断じ、第2パラグラフでも「この評価についてわれわれは大きな確信を持つ」と述べて、シリア政権軍による毒ガス攻撃であったことを重ねて強調している。
さらに付け加えて「軍高級幹部が多分攻撃計画に関与しただろう」「過去に化学兵器関係者だった人物たちが3月末の準備段階と攻撃当日に発進基地にいたことを示す情報をわれわれは持っている」と書いている。
大統領府でのブリーフィングは同資料に基づいて口頭で説明しており、内容は基本的に同じである。  
ブリーフィングを行った上級担当者はさらに現場の反体制派武装グループが「イスラム国」であれ他のグループであれサリンを持っていなかったと明言し、シリア政権こそが2013年8月の事件でサリンを使用し、今も保有していると断定している。  
空爆について、資料はシリア軍のスホーイ22型機が現場周辺で20分間ほど飛行し続け、空爆後に飛び去って、その後化学兵器使用が報告され始めたとし、さらに、SNSで指摘されている道路上の穴は明らかに通常爆弾による痕跡とは違い、化学兵器爆弾によるものと信じると記している。 
トランプ政権の説明については指摘すべきことが他にもあるが、これだけにとどめておこう。

オバマ「弱腰」政権に対するトランプ「やるときにはやる」政権  

この資料は2013年8月に首都ダマスカス郊外で発生したサリン事件の際にオバマ政権が発表した大統領府声明を強く意識し、大変よく似た書き方になっている。
それだけアサド政権に対する懲罰的軍事行動の可能性に言及しながら断念したオバマ政権の「弱腰」振りを意識し、違いを示そうと意図したものだった。

そこで、同じような2つの資料の違いについて注目しよう。
 
オバマ政権の声明では最初のパラグラフで「(シリア政権がやったと)大きな確信を持って評価する」とした。
その表現には微妙なニュアンスがある。つまり、幾多の情報からすればシリア政権がやったと強く考えられるが、断定するとまでは言えないという含みを持たせた文章である。
実際に、第4パラグラフで情報当局はまだ確証を握っていないことを正直に認め、今後とも確証を求めて「さらに情報の収集を行う」とした。  
当時この声明は日本国内で大々的に報道された。だが、マスコミはこの部分の重要性を見落としてどこも指摘しなかった。

この事実は、今日のマスコミ界が陥りやすい「フレーミング効果」の一例を示している。
つまり、米国での報道がオバマ政権はアサド政権がやったと認めたという方向性で行われると、日本のマスコミではその論調の枠内でしか考えず、長文でもない大統領府声明を正確に読めば明らかなのだが、声明を読まないで記事を書いたのか、たとえ目を通したにしろ表現振りが簡潔で、巧みな表現振りだったためにニュアンスを正確に理解せず読み飛ばしてしまったのかもしれない。
でも、そこにこそ声明のひとつの核心があった。

 トランプ政権の資料では最初から「確信」を強調するばかりである。
単純明快だ。
ついでに、確証を入手していれば、きっと明言したであろう。
だが、確証を得ているとはどこにも書いていない。
ブリーフした上級担当者はこう説明した。
「あなたたちにはぜひ理解してもらい。これは非常に重要なことだ。つまり、(アサド政権がやったという)この結論を支持する情報がたくさんあるのだ」。
付け加えて、攻撃があった4日以来情報を収集し続けているが、皆、我々の理解を補強し、一致しているとも言う。
しかし、彼は確たる証拠を得たとは一度も言っていない。
ありていに言えば、確証は得ていないが確信すると言っている。
わたしたちはそう考えている、だからあなたたちも信じなさいと。
こういうのを印象操作という。  
その際に、この上級担当者は「(情報を公表するために)秘密レベルを下げ、あるいは秘密指定を解除した情報には広範囲の公開資料やSNSが含まれる」と語るのだが、公開情報を秘密指定から解除するというのは本来ありえない、何とも奇妙な説明である。

この夜郎自大的で無茶な説明に対して、ブリーフィングに出席した大統領府詰めの記者が誰ひとりとして疑問を挟まなかったのはまことに情けない。  
「軍高級幹部が多分攻撃計画に関与しただろう」という表現は、情報判断では絶対に避けなければならないものである。情報がないから「多分(probably)」と表現したのだろうが、この言葉は「可能性がある(possible)」より強い。
厳密性に欠ける用語 

トランプ大統領の発言やツイートを見ていると使用する単語や表現が非常に平易であって、しかも原稿なして喋る場合には小中学生を相手に喋っているような表現振りで、私的空間と公的空間の区別がなされていない。
ツイートでは綴り間違いをしてもお構いなし。
しかも、言葉の意味を厳格に理解しないで使っている。

超大国米国の大統領の言葉には他国の指導者の発言とは比較もできない重さと責任、そして影響力があるのだが、まったく意識できていない。
演説の中でpossibleとprobableを同じような単語として使用していることがあった。
前者は可能性、後者は蓋然性というはっきりした違いがあるのにである。
軍の高級幹部が関与した蓋然性があるというためにはそれなりの情報が必要だが、前後の文脈からすればそれはなく、もっぱら読み手の頭に印象を植え付けようとする表現にとどまっている。  

トランプ政権が指摘するシリア政権の航空機から落とされた化学兵器爆弾の穴というのはネット上でその写真を見ることができる。
それは薄いアスファルトを壊してできた深さ10〜15センチほど、直径はせいぜい数十センチの穴である。
確かに、通常爆弾の破裂による破壊の痕跡とは違う。だが、どうして化学兵器による穴だと断定できるのだろうか。

時速数百キロで飛行する航空機が1000メートル前後の上空から落下させた化学物資を内蔵する金属製の爆弾が大きな運動エネルギーで地上に激突して作ったとされる穴は、実はせいぜい数十メートルの高さから投げ落とされたボーリングのボールが作る程度の穴にしか見えない。
化学兵器搭載の砲弾には着地する寸前に破裂させて空中に散布するのがあり、その場合には地上激突速度は減殺されるが、シリアでこの種の砲弾が使用されたとの情報はない。

すると、その穴はどのようにしてできたのだろうか。
2013年8月のダマスカス郊外サリン事件の犯人、いまだ不明のまま  

ブリーフィングを行った上級担当者はこのように言う。
「われわれはシリア政権がサリンを保有していることを実は知っている、そして2013年の事件でシリア政権がサリンを使用したことも知っている」 

この上級担当者はオバマ政権の声明のみならず、『ジ・アトランチック誌』2016年4月号のオバマ大統領インタビュー記事も読んでいないようだ。
オバマ大統領はクラッパー米国家情報長官が大統領に緊急に面会を要求して来て、シリア政府がサリン事件の張本人であるらしいとする情報はいろいろあっても「確証はない」と報告して来たために軍事行動を断念したと語っている。 
オバマ政権時代には解明されなかったこの事件が、トランプ政権発足後早々と解明されたとでもいうのだろうか。
だが、そんな話はどこからも伝わってきていない。
シリア政府が行ったとは現在までいかなる公的機関からも断定されていない。  

この上級担当者もトランプ政権の幹部としてフォックス・ニュースを情報源とする「オルターナティブ・ファクツ(alternative facts)」の信奉者のようだ。
そういえば、2013年9月18日に放映されたフォックス・ニュースのアサド大統領インタビューでは、質問者は執拗に誘導質問を繰り返し、ウソさえ事実と強弁して質問をしていたことを思い出す。

わたしはアサド大統領のインタビューをこれまですべて読んできているが、フォックス・ニュースのインタビューほど事実を捻じ曲げ、無視して質問を展開していたインタビューは他にないのでよく覚えている。
大統領はそんな質問者に対しても丁寧に応答して怪しげな議論を退けていた(なお、日本でも多くのいわゆる『識者』たちが2013年8月のサリン事件をシリア政権が行ったと断定して話を進めているのは、事実を軽視するトランプ政権関係者たちと同じレベルである)。
4月4日事件の地区に「イスラム国(IS)」がいた? 

トランプ政権が発表した資料には、4月4日のサリン化学兵器事件にISが関係したとする情報はないとも書いている。
あたかもISがその地区にいたが、事件には関係しなかったと言わんばかりである。
だが、ISはその地域にいなかった。
だからISがこの事件には無関係なのは当然である。

でも、いないことがはっきりしており、書く必要がなかったISについて、なぜわざわざ言及したのだろうか。  
同地域では、米国を含む国際社会がテロリスト・グループとして制裁を科すアルカイダ系旧ヌスラ戦線グループが占拠しており、しかも旧ヌスラ戦線に対しては、米国は従来からISに向ける対決姿勢ほどの強い姿勢を示していない。
米国は旧ヌスラ戦線に関して十分な情報を得られず、このグループの動向を十分に捕捉できていないからだろう。
だから、資料は旧ヌスラ戦線にはまったく語らない代わりに無関係なISに言及したのだろう。
そんな不十分な状況の中で、この地区の反体制派武装グループがサリン化学兵器を保有していなかったと断定するのはいかにも根拠に乏しい。  
この村からトルコ国境まで近く、その地帯は反体制派武装グループが支配している。
人と物資は自由にトルコとの間を行き来している。
危険物が外部から持ち込まれた可能性は否定できない。
周辺でスホーイ22型機が20分も飛行し続けていたのならば、シリア軍機の存在を奇貨として自作自演のサリン事件を起こすことも不可能ではないだろう。  

以上の疑問を抱きながらインターネットをサーフすると、今回もマサチューセッツ工科大学のセオドーア・ポストル名誉教授の論考があった。

今回もというのは2013年のサリン事件で彼は国連調査団報告書を詳細にわたって検討してシリア政権が事件の首謀者だとする見方に疑問を呈しているのだ。
今回、彼はわたしと同じような疑問を持って、自身の専門分野から特に化学兵器爆弾が作ったといわれる穴を詳細に検討して、これは空中からの投下ではなく、地上で誰かが爆発させてできた穴であると結論付け、トランプ政権の判断の信頼性に大きな疑問を投げかけている。
Alternative factsで突っ走ったトランプ政権  

オバマ政権は、状況証拠はあっても事実に基づく確証が得られなければそれは「グレー・ゾーン」にとどまり、そんな状況では軍事行使には踏み切れないとした。
大統領の絶大な権力の行使は「事実」に基づかなければならないという認識である。

その認識は信念といってもよい。
大統領として国民から託された絶大な権力の行使に当たっては謙虚で自制的でなければならないとする信念だ。
巷間で言われた弱腰だったから軍事行動を取りやめたという批判は矮小で見当違いである。

他方、今回示されたトランプ政権の姿勢は、状況証拠がクロに近ければ確証を求めるまでもなく軍事攻撃を決断できるとした行動だった。
事実の確認を軽んじて過早に行われたそんな軍事行動だったのだが、米国民の57%が支持し(CBS世論調査)、主要7カ国外相会議(G7)も支持を確認した。  

去年の大統領選挙運動中には「大統領なんて簡単に務められるさ」と言っていたトランプ大統領であるが、4月7日の軍事行動を決断し、また、幾多のハードルをも経験してみて、就任100日目を前に複雑で深刻な現実を理解し始めたようだ。

4月末、ロイター通信のインタビューの中で「大統領職がこんなに難しいとは考えてもみなかった」と述懐し、Alternative facts ばかりでは大統領職を務められないことに気づいた。
国際社会では多くの指導者たちがトランプ大統領の言動にハラハラしてきている。
これからは責任ある言動が期待できる大統領に成長してほしいと願っている向きには、少しは安堵の胸をなでおろしと思えた記事だっただろう。(おわり)


国枝昌樹 元シリア駐在大使 (投稿者)
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・2006年から2010年シリア特命全権大使。
 著書: シリア アサド政権の40年史(平凡社新書)、報道されない中東の真実、イスラム国の正体、シリアの真実、「イスラム国」最終戦争(以上朝日出版)など多数。


報道されないダマスカスの真実(国枝昌樹 元シリア駐在大使)

2017年3月1日

わたしは今年の初めにダマスカスに行ってきた。2011年3月に民衆蜂起が起きて以来12年2月、14年4月に同地に行っているので、今回は3回目、2年9か月ぶりの再訪だった。短い滞在期間中に十数人の人々と会って話をし、町の人々が通うレストランで食べ、町で買い物をした。その時の見聞を報告したい。

14年の訪問の時には反体制派武装グループが放つ迫撃砲弾が5分ごとに町の遠近(おちこち)で炸裂する音が響き、夜10時になるとダマスカスの町の背後に屹立するカシユン山の上から政府軍が反体制派の占拠する地区に向けて大砲をぶっ放つ轟音が真っ暗な空をつん裂いて、町には緊張した雰囲気が張り詰めていた。町の人々はいつ砲弾が頭上に落ちてきてもそれは運命といって受け入れる覚悟で生活していた。

今回、状況が一変していた。迫撃砲弾の音は消えて、ダマスカスの漆黒の虚空に轟音をとどろかせたカシユン山からの大砲の発射音もない。人々の表情には余裕があった。代わりに、大小さまざまの簡易発電機が町中至る所で騒音を張り上げていた。

自動車は市民の足なので、ダマスカス市内には14年にもたくさんの車が粗悪なガソリンで異臭を振りまきながら走っていたが、今ではさらに増えた自動車と簡易発電機の油煙でダマスカス市内の空気は淀(よど)んでいた。ちなみに、街を走る車は見事におんぼろ車ばかり。皆部品を何とか入手してはだましだまし運転している。

ダマスカス旧市街の人出は確実に増えていた。戦争が始まる前と同じレベルまで回復とまで言っては言い過ぎだろうが、それでも、ハミディーヤ市場の人出は相当なものだし、ウマイヤド・モスク前の人ごみも想像以上だった。店の品そろえも往年を彷彿とさせる。ダマスカス名物のアイスクリーム屋も繁盛している。でも、矢張り薄暗い。

ホテル近くで市民が集う青果物市場やショッピング・アーケードを見てみた。最も上質だというピスターチオが1キロ8700シリア・ポンドだった。ドルに換算すれば17ドル程度だ。戦争前の値段に比較するとシリア貨では8倍以上になっているが、ドル貨では50%高に過ぎない。最上級のピスターチオであるが、戦前のものと比べるとピスターチオそのものの品質は劣り、塩で炒っても、以前ほどの手間暇がかかっていない。そこに戦争が反映している。他方、店頭に並ぶ野菜などの生鮮食料品の値上がりは5、6倍程度であった。地元のレストランで何回か食事したが、満腹になるほど食べても一人当たり10ドルもしない。

価格に注目したい。シリア貨では8倍になっていても、ドル貨換算では5割高にとどまっている。ピスターチオに限らず、店頭に並んでいる売り物はシリア貨ではことごとく数倍になっているが、ドル貨での動きは少ない。これは現在のシリア経済が国際経済とほぼ完全に切り離されていることを意味する。
 
シリア貨での高騰ぶりは甚だしいのだが、この間に公務員の平均給料はほぼ2倍に増えた。親しくしている中堅公務員の独身女性は、妹も働いて一緒に病身の両親を養っているが、余裕はないけれども何とか月給で生活できているという。友人のダマスカス大学教授は、戦争前は月給が1000ドル程だったが、現在は300ドルまで下がったと嘆いているけれど、それはドル換算であって、シリア貨では彼の月給は3倍になっている。つまり、シリア貨での購買力換算で見ればインフレ率は2.5倍から5倍である。大学教授で見れば1.5倍から3倍程度である。

わたしは第2次大戦終了の翌年に生まれて、父はわたしが生まれる前に死んだので寡婦の母がその細腕で一家7人の家庭を何とかやりくりしながら昭和20年代の大変苦しい時期を必死に過ごした。その時代のインフレはダマスカスのインフレよりも酷かった。年端も行かないわたしは母を援けて薪を割り、かまどにくべてお米を焚き、味噌汁も作った。練炭火鉢も熾した。ダマスカスの現状はわたしの人生初期の思い出につながる。

500万人近くが国外に避難民として逃れ、国内にとどまる1700万人余りの人口の内600万人ほどが家屋を失い避難生活を余儀なくされており、国土の3分の2は戦闘地域になっている現在のシリアで、これだけの経済が動いていることは一種の驚きである。さらに、たとえ「イスラム国」が支配しているラッカであっても、シリア政府機関であったところに働き続ける旧公務員には、今日でも政府は給料を支払っていると聞く。また、海外での外交活動に必要な大使館を、人員規模は縮小しながらも維持し続け、政府給付留学生の資金も支払い続けている。

勿論、これには700億ドルに上るロシアとイランからの借款などの資金協力が寄与しているのは間違いない。「それにしても」と親しいシリア人ジャーナリストが言う。「国としての経済が機能し続けていることが不思議だ」。わたしにも不思議だ。

経済が機能しているということは国の行政が機能していることだ。これは注目すべき事柄だと思う。民衆蜂起前に5年間シリア政府経済担当副首相を務め、現在国連ESCWA(西アジア経済社会委員会)の副事務局長のアブドゥッラ・ダルダリが当時わたしに語った言葉で、妙に頭にこびりついている一言がある。「シリアは小国だ。だが、並みの小国ではない。大きな抵抗力がある」。なるほどそういうことだったのか。

シリアは破綻国家だ、中央政府の行政権は最早(もはや)機能していないなどと書いてはばからない記事が国際社会で幅を利かせているが、どこを見てそのような報道をしているのだろうと不思議に思う。わたしは長かった外国生活の半分以上をいわゆる開発途上の諸国で生活したが、シリアよりももっと事情が悪い国はたくさんある。でも、そんな国々を誰も破綻国家だとは呼ばない。

最後に、ちょっと気になったことを書いて終わりたい。
今から6、70年前の日本の戦後時代の記憶と関係するのだが、当時の日本では社会のいたる所でいわゆる傷痍軍人の姿を見た。立派な人物が白衣を着て駅の前でアコーデオンを弾いているのを見るごとに、幼かったわたしの心は痛んだ。ところが、ダマスカスではそんな人たちを一切見かけなかったのだ。どうしてなのだろう。いずれ書く予定の折田魏朗先生が生前に語ってくださった第4次中東戦争の時の思い出話には街中にあふれる傷痍軍人の話があったので、それだけに違和感を持った。また、ダマスカスでは少なくない数の20歳前後から30歳ほどの青年たちが日中から街路で明るく振る舞っていた。いずれも生活臭の乏しい若者たちだったのが気になった。多くのシリア人たちは日中は仕事をして懸命に生きているというのに。近郊のバラダ渓谷ではその頃政府軍と反体制派武装組織との間で激戦が戦わされていた。その渓谷にはダマスカスの水源があるので、当時市内の水道は断水し市民生活が困難に直面していると伝えられていた。だから、わたしは2リットル入りペットボトルを20本持ってダマスカスに入り、知人たちに配ろうとした。だが、聞けば完全に断水しているわけではなく、飲料水は確保できている、ただ洗濯水や風呂用の水の確保に苦労しているというのだ。外国で報道される情報と現実との乖離にガックリした。


国枝昌樹 元シリア駐在大使 (投稿者)
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・2006年から2010年シリア特命全権大使。
 著書: シリア アサド政権の40年史(平凡社新書)、報道されない中東の真実、イスラム国の正体、シリアの真実、「イスラム国」最終戦争(以上朝日出版)など多数。


怪しい特派員記事(国枝昌樹 元シリア駐在大使)

201729日付朝日新聞デジタル版は「大量処刑のシリア刑務所、元受刑者『死ぬ方がマシ』」と題するカイロ特派員の翁長忠雄記者の記事を掲載した。著名な人権団体Amnesty Internationalが数日前に発表したシリアのサイドナヤ刑務所では2011年から15年までに5千人から13千人の被収監者が処刑されたとする報告書を受ける形で書かれた記事だ。


09年から117月までサイドナヤ刑務所に収監されていたというトルコ在住の30代後半の男性が電話取材に語ったという内容はこうだ。


(1)同刑務所には150から200の雑居房があり、1部屋は縦12メートル、横4メートルほどで、ここに30人ほどが押し込められていた。

(2)衛生状態は劣悪で、ぜんそくや肺結核、心臓疾患、皮膚疾患、精神疾患で苦しみ、房内で亡くなる人が続出した。

(3)自らの生存空間と食料を確保するために、同室の受刑者を殺す人もいた。

(4)獄中では、生きるより死ぬ方がましだった。(イスラム教が禁止している)自殺を認めるファトワ(宗教令)が出ることすら望んだ。

(5)別の受刑者に聞いたところでは、その後同刑務所では1部屋に100人以上詰め込まれる状態になった。


アムネスティの主張を補強しようとする意図が明確に伝わってくる記事で、多くの読者はこの記事を読んでさもありなんと心の痛む思いがしたに違いない。だが、わたしはまったく違った。


わたしは2006年から10年までシリアで大使として在勤した。サイドナヤ刑務所のことは、もちろん当時から知っていた。だから、同刑務所の周辺を数回うろつきながら観察した。寒々しく荒涼とした高原の丘にあって夏季は気候がよくて過ごしやすいだろうが、冬季は寒くて収監されている人々はつらいことだろうと思ったものだ。


そこにはミシェル・キロという著名な老政治犯が収監されていた。

同人はハーフェズ・アサド大統領時代から自由と民主主義を主張して政権から疎まれ、弾圧されて、逮捕入獄を経験していた。彼は文筆家にして歴史思想家であり、どれほど有名かといえば、バシャール・アサド大統領と会談する西側諸国の指導者たちは大統領に対してほぼ毎回彼の釈放を直談判するのだった。

それに対してアサド大統領は、彼が「悪かった、悔い改める」と一言言ってくれたら釈放するのだがと困った顔をして応対したものだった。反骨精神が旺盛なミシェル・キロは決して節を曲げない。だから3年間の刑期を務め上げて出所した。そして、わたしは彼と連絡を取った。


もとより、常に監視下に置かれていた彼と直接会うことは難しいので、一計を案じて連絡を取った。彼はすぐに返事を返してきた。そして、わたしの求めに応じてサイドナヤ刑務所での3年間の生活ぶりを詳しく語ってくれた。


ハーフェズ・アサド大統領時代の政治犯を収容する刑務所は主にメッゼ刑務所だったが、バシャール・アサド大統領は2000年に就任後直ちに同刑務所を閉鎖し、サイドナヤ刑務所が政治犯を収容することになった。

ただ、サイドナヤ刑務所は政治犯だけではなく、性犯罪、凶悪犯罪などの刑事罰服役者たちもたくさん収監されていた。ミシェル・キロはそんな犯罪者たちと一緒の雑居房に入れられていた。家族からの差し入れは認められていたようだ。それでも冬の寒さには苦しんだという。

雑居房の住人たちは彼が政治犯であって、政権と闘っていることを知ると、雑居房の一人が彼を殺(あや)めるから自分の刑期を短縮してくれといって看守に密かに取引を持ち掛けたことすらあった。

そして、わたしが特に尋ねた087月の刑務所内の暴動について、その大規模な暴動と政府による鎮圧について語り、200人余りの同胞団メンバーが殺されたと明らかにした。暴動の規模といい、刑務所内外の連絡振り、政権側のうろたえ振りなど、それまでほとんど明らかになっていなかった暴動の実態を、その時その刑務所に収監されていた人物が見聞した証言として詳しく教えてくれたのだった(拙著『テレビ・新聞が決して報道しないシリアの真実』朝日新聞出版を参照)。


さて、「死ぬ方がマシ」と記者に語った元政治犯は、記事を読むとミシェル・キロが出所した直後に入所しており、ほぼ同時期の入所体験ということになる。

その頃、この元政治犯は30代前半である。ミシェル・キロはすでに70歳に近かった。ミシェル・キロの半分の年齢にも行かない若者が語る獄中生活ぶりはミシェル・キロが語るものに対して無責任なほどに大袈裟、誇張されていることが知れる。しかも、この若者は、彼が入所する10カ月前の出来事ではあるがサイドナヤ刑務所の歴史上特筆される087月にムスリム同胞団メンバーが起こした暴動の無慈悲な鎮圧について何ら語っていない。


さらに付け加えれば、民衆蜂起が始まって民主化の要求が叫ばれるとアサド大統領は11622日に恩赦を与えてサイドナヤ刑務所から相当数の政治犯を釈放した。この際に釈放された人物たちがアハラール・シャームやイスラム軍など有力な反体制派武装組織を作り、今日までアサド政権と戦って来ている。

記事の人物は117月に別の刑務所に移され、翌年に恩赦で釈放されたという。つまり、同人物よりももっと重要な政治犯たちが彼よりも先に釈放されているのだ。順序は逆だろう。


ここまで書けばわたしの真意がお分かりいただけたと思うが、この記事の元政治犯の証言は極めて信憑性に乏しいのだ。


この人物が本当にサイドナヤ刑務所にいたとは、わたしには到底考えられない。わたしは上掲の著書の中でミシェル・キロについて、そして彼のサイドナヤ獄中生活について2ページにわたって書いたが、記者が同じグループの出版社から出版されたこの本を読んでいたらサイドナヤ刑務所出身の元政治犯と称する人物の話を一方的に聞いてそのまま記事にすることはなかっただろう。


最近の新聞には「訂正とお詫び」が多い。しかし、外報記事についてはこの「訂正とお詫び」が極めて少ないことにどれほどの読者が気付いているだろうか。外報記事に限って誤りがないと誰が言えるのだろうか。


過去6年間、わたしはいわゆる「アラブの春」関係の記事を日本語、英語、フランス語で読んできているが、誤りやウソ偽りの記述が少なからずあって、しかも訂正されないままに放置されていることに心を痛めている。日本人記者が書く記事にあっても同様である。テレビでも同じだが、おかしな報道があっても録画しないと議論できないので便宜的に新聞を対象にしているだけである。そんな記事や報道が積り重なってシリア問題の実態を観にくくさせている面があるのだろうと、わたしは考えている。(2017/02/10)



国枝昌樹 元シリア駐在大使 (投稿者)
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・2006年から2010年シリア特命全権大使。
 著書: シリア アサド政権の40年史(平凡社新書)、報道されない中東の真実、イスラム国の正体、シリアの真実、「イスラム国」最終戦争(以上朝日出版)など多数。



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