怪しい特派員記事(国枝昌樹 元シリア駐在大使)

201729日付朝日新聞デジタル版は「大量処刑のシリア刑務所、元受刑者『死ぬ方がマシ』」と題するカイロ特派員の翁長忠雄記者の記事を掲載した。著名な人権団体Amnesty Internationalが数日前に発表したシリアのサイドナヤ刑務所では2011年から15年までに5千人から13千人の被収監者が処刑されたとする報告書を受ける形で書かれた記事だ。


09年から117月までサイドナヤ刑務所に収監されていたというトルコ在住の30代後半の男性が電話取材に語ったという内容はこうだ。


(1)同刑務所には150から200の雑居房があり、1部屋は縦12メートル、横4メートルほどで、ここに30人ほどが押し込められていた。

(2)衛生状態は劣悪で、ぜんそくや肺結核、心臓疾患、皮膚疾患、精神疾患で苦しみ、房内で亡くなる人が続出した。

(3)自らの生存空間と食料を確保するために、同室の受刑者を殺す人もいた。

(4)獄中では、生きるより死ぬ方がましだった。(イスラム教が禁止している)自殺を認めるファトワ(宗教令)が出ることすら望んだ。

(5)別の受刑者に聞いたところでは、その後同刑務所では1部屋に100人以上詰め込まれる状態になった。


アムネスティの主張を補強しようとする意図が明確に伝わってくる記事で、多くの読者はこの記事を読んでさもありなんと心の痛む思いがしたに違いない。だが、わたしはまったく違った。


わたしは2006年から10年までシリアで大使として在勤した。サイドナヤ刑務所のことは、もちろん当時から知っていた。だから、同刑務所の周辺を数回うろつきながら観察した。寒々しく荒涼とした高原の丘にあって夏季は気候がよくて過ごしやすいだろうが、冬季は寒くて収監されている人々はつらいことだろうと思ったものだ。


そこにはミシェル・キロという著名な老政治犯が収監されていた。

同人はハーフェズ・アサド大統領時代から自由と民主主義を主張して政権から疎まれ、弾圧されて、逮捕入獄を経験していた。彼は文筆家にして歴史思想家であり、どれほど有名かといえば、バシャール・アサド大統領と会談する西側諸国の指導者たちは大統領に対してほぼ毎回彼の釈放を直談判するのだった。

それに対してアサド大統領は、彼が「悪かった、悔い改める」と一言言ってくれたら釈放するのだがと困った顔をして応対したものだった。反骨精神が旺盛なミシェル・キロは決して節を曲げない。だから3年間の刑期を務め上げて出所した。そして、わたしは彼と連絡を取った。


もとより、常に監視下に置かれていた彼と直接会うことは難しいので、一計を案じて連絡を取った。彼はすぐに返事を返してきた。そして、わたしの求めに応じてサイドナヤ刑務所での3年間の生活ぶりを詳しく語ってくれた。


ハーフェズ・アサド大統領時代の政治犯を収容する刑務所は主にメッゼ刑務所だったが、バシャール・アサド大統領は2000年に就任後直ちに同刑務所を閉鎖し、サイドナヤ刑務所が政治犯を収容することになった。

ただ、サイドナヤ刑務所は政治犯だけではなく、性犯罪、凶悪犯罪などの刑事罰服役者たちもたくさん収監されていた。ミシェル・キロはそんな犯罪者たちと一緒の雑居房に入れられていた。家族からの差し入れは認められていたようだ。それでも冬の寒さには苦しんだという。

雑居房の住人たちは彼が政治犯であって、政権と闘っていることを知ると、雑居房の一人が彼を殺(あや)めるから自分の刑期を短縮してくれといって看守に密かに取引を持ち掛けたことすらあった。

そして、わたしが特に尋ねた087月の刑務所内の暴動について、その大規模な暴動と政府による鎮圧について語り、200人余りの同胞団メンバーが殺されたと明らかにした。暴動の規模といい、刑務所内外の連絡振り、政権側のうろたえ振りなど、それまでほとんど明らかになっていなかった暴動の実態を、その時その刑務所に収監されていた人物が見聞した証言として詳しく教えてくれたのだった(拙著『テレビ・新聞が決して報道しないシリアの真実』朝日新聞出版を参照)。


さて、「死ぬ方がマシ」と記者に語った元政治犯は、記事を読むとミシェル・キロが出所した直後に入所しており、ほぼ同時期の入所体験ということになる。

その頃、この元政治犯は30代前半である。ミシェル・キロはすでに70歳に近かった。ミシェル・キロの半分の年齢にも行かない若者が語る獄中生活ぶりはミシェル・キロが語るものに対して無責任なほどに大袈裟、誇張されていることが知れる。しかも、この若者は、彼が入所する10カ月前の出来事ではあるがサイドナヤ刑務所の歴史上特筆される087月にムスリム同胞団メンバーが起こした暴動の無慈悲な鎮圧について何ら語っていない。


さらに付け加えれば、民衆蜂起が始まって民主化の要求が叫ばれるとアサド大統領は11622日に恩赦を与えてサイドナヤ刑務所から相当数の政治犯を釈放した。この際に釈放された人物たちがアハラール・シャームやイスラム軍など有力な反体制派武装組織を作り、今日までアサド政権と戦って来ている。

記事の人物は117月に別の刑務所に移され、翌年に恩赦で釈放されたという。つまり、同人物よりももっと重要な政治犯たちが彼よりも先に釈放されているのだ。順序は逆だろう。


ここまで書けばわたしの真意がお分かりいただけたと思うが、この記事の元政治犯の証言は極めて信憑性に乏しいのだ。


この人物が本当にサイドナヤ刑務所にいたとは、わたしには到底考えられない。わたしは上掲の著書の中でミシェル・キロについて、そして彼のサイドナヤ獄中生活について2ページにわたって書いたが、記者が同じグループの出版社から出版されたこの本を読んでいたらサイドナヤ刑務所出身の元政治犯と称する人物の話を一方的に聞いてそのまま記事にすることはなかっただろう。


最近の新聞には「訂正とお詫び」が多い。しかし、外報記事についてはこの「訂正とお詫び」が極めて少ないことにどれほどの読者が気付いているだろうか。外報記事に限って誤りがないと誰が言えるのだろうか。


過去6年間、わたしはいわゆる「アラブの春」関係の記事を日本語、英語、フランス語で読んできているが、誤りやウソ偽りの記述が少なからずあって、しかも訂正されないままに放置されていることに心を痛めている。日本人記者が書く記事にあっても同様である。テレビでも同じだが、おかしな報道があっても録画しないと議論できないので便宜的に新聞を対象にしているだけである。そんな記事や報道が積り重なってシリア問題の実態を観にくくさせている面があるのだろうと、わたしは考えている。(2017/02/10)



国枝昌樹 元シリア駐在大使 (投稿者)
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・2006年から2010年シリア特命全権大使。
 著書: シリア アサド政権の40年史(平凡社新書)、報道されない中東の真実、イスラム国の正体、シリアの真実、「イスラム国」最終戦争(以上朝日出版)など多数。

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